長野冬季オリンピック・パラリンピックとデザイン 

 

長野県情報技術試験場  デザイン部  吉田健二

●はじめに
●顕著なデザイン活動と変革
●マルチメディアデザインの試み
●まとめ

1 はじめに

 長野冬季オリンピックとパラリンピックの二競技大会は平成10年(1998)2月7日より3月14日までの間、長野市を中心とした1市4町村を主会場として開催され、数々の感動を生み、歴史的な事業を達成した。
 二つの大会には競技と各種目や開催地がほぼ共通し、スポーツの振興や国際的な運営・演出並びに長野という地域開発と最新デザインの導入を余儀なくされた。
 両競技の終了後、大会開催関係諸団体の活動が報道され、デザインに関する地域企業などの報告や地域ボランティアの報道などを通じ長野地区に芽生えたデザイン変革の情報に接する機会を得た。
 そこで1年後の長野五輪イベントを契機として短期間であるがその後のデザインに関する浸透傾向の実態を調査し、オリンピックデザインの検証を行ったので報告する。

2 顕著なデザイン活動と変革

2-1 オリンピックのデザイン     
 開会式の直前、「日経デザイン」の取材に、長野冬季オリンピックはデザインにはあまり予算を投じていないなどと掲載したことがある。県民のデザインへの関心や入札など地元の投資や還元性が薄いのでは、と予想された。
 たとえば長野オリンピックエンブレムやマスコットおよび公式ポスター受発注については、長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(略称NAOC)が専門委員会を作り、そこから県外企業へ発注形式であった。その結果はグローバル系デザイン企業(神奈川県)の一括受託となり、他に公式ポスター発注は青葉益輝氏の「ツグミ」、長野大会ポスターは絹谷幸二氏「銀嶺の女神」等と大会ポスターなどは指名形式であった。マスコット「スノーレッツ」は「森の知恵者」といわれたフクロウが4種デザインされ、当初地元の人は好感がもてず敬遠気味であり、加えて全体の盛り上がりも低く、事務局組織の旗振りによる販売先導型であった。だが、大会に入るやいなや、金メダルの報道が連発されると、日本中の関心が高まり、とたんにぬいぐるみやインテリア向けの商品等グッズ品切れが聞こえ、増産と販売に大童となったと聞いている。(マスコットの愛称は約5万通の公募から選ばれた。) 

開会式
公式ポスター

   
 花弁のように描かれたエンブレムの図柄は雪の結晶が踊る姿で、カラフルな新鮮味のある躍動感に好感を抱いた人は多いと思われる。愛称は「スノーフラワー」と呼ばれ大会の運搬車などにも多く描かれた。退会終了後の現在も時たま図柄がそのままに残されたRV車が走っている。
2-2 公設試のデザイン対応
 公設試へデザイン相談の接触があった。NAOCからいくつかの照会があり、技術指導で対応した。主にグッズや式典用の製品化についてであった。グッズでは県内にマスコットの素材と生産能力があるかどうか、前回のノルウェー会場に勝るメダルのデザインを開発できるかどうか、素材の選択や長野県の代表的なイメージが世界に通用するかという難問題も数回問い合わせがあり、NAOCが精査の結果メダルは伝統的工芸品指定の漆器を選定した。式典用の製品では、長野大会の特色を抽出するため地域の歴史や伝統工芸の発祥と現在の状況、オリンピックにふさわしいオリジナル製品の製造を保証する県内企業などの調査依頼があった。
2-3 メダルのデザインと製造     
 メダルの製造は県内の時計メーカーが体験していた金型活用の製造技術実績がNAOCに選定され、これに漆の蒔絵製造技術を結びつけた手法を選択し、木曽郡楢川村の漆器職人グループがメダルの製造に携わった。デザインは前述の県外(神奈川県)企業で作成され、金型製造は国の造幣局が担当した。

メダル
眼球の虹彩


2-4 NAOCのデザインと取り組み   
 NAOCのデザイン業務はオリンピックイベントマークから紹介誌等の全てにわたって統一デザインやオリジナル性が要求され、グッズの意匠登録や販売促進あるいは模倣の監視等広域に関わる専門の担当者を配置した。また、NAOC独自のデザインを起こすためにもマッキントッシュのパソコン部隊を用意し専業デザイナーを起用した。県内の起用は特に配慮していなかったようだ。
2-5 ハイテクノロジーとデザイン
 伝統技術を重視する一方、ハイテクノロジーの集積地にも目を向けて、ハイテク五輪の目標が掲げられた。
 まず、カーナビの実験では、道路交通情報通信システム(VICS)が稼動した。渋滞・天候・事故などの情報により観客や選手団と一般交通への影響を押さえスムーズな安全輸送を守った。
 このシステムは目的地までの最速経路、大会関係者の車両接近に伴う信号機の時間調整及び空き具合の駐車場案内などが発信され、「カーナビ都市」の実験が実施された。
 眼球の虹彩が指紋のように人によって異なる点を利用した「アイリス認識入退室管理システム」は五輪初登場であった。このシステムは選手の使用する競技用具の管理にも威力を発揮した。    
 競技記録模様や過去の大会記録を引き出せるビデオ・オン・デマンド(VOD)は、大会の記録画像を国際放送センター経由で長野市フルネットセンターに蓄積し、競技会場など73ヶ所においてリアルタイムで選手や出身国の詳細を知ることができた。大会後、長野市は市のフルネットセンターと市内小中学校を端末で結び、教員グループが作成した学習ソフトをビデオ・オン・デマンド授業などで活用している。また、光ファイバーによるギガビット規模のインフラ実験として、日本縦断高速情報化実験施設へと発展している。
 長野冬季大会の生情報を世界各地へ伝えるため会場間に光ファイバー網(3万8千キロ)を構築し、五輪ネットワーク映像と音声に圧縮を掛けず衛星デジタル送信をした結果、会場の熱気を世界各国の放送局に配信することにも成功した。

地元新聞のPDF
パラリンピック社内刷りポスター

        
 地元新聞、通信、ラジオ各社でNAOC独自の情報機関を作り速報システム(Info'98 リザルトデータ入力から発信まで15分)、ワールドワイドウェブ(IBM社によるイントラネット、情報の入力・検索システムの構築)、即日の号外や外国語でのオリンピック新聞(英語、フランス語、日本語の3ヶ国語)、ホームページでの報道並びにホームページのPDF化など多彩なメディア活用の体制で望んだ。特に地元新聞社は自社のホームページに大会終了後もPDFを掲示しているので、一度ダウンロードを試み、プリントしてみてはどうだろうか。次期開催までの間で継続する予定である。地元新聞社や印刷業界はワンソース・マルチユースのデジタル原稿を手始めにCD-ROM化し、パッケージの販売事業に繋げている。
 NHKはBSハイビジョン中継や録画の立体映像実験場を長野市内や東京などの数カ所に設け、配信した。アナログハイビジョンは海外でも設置し好評であった。立体映像の迫力は強烈で、劇場の新しい方向を思わせた。
 このほか難解な気象変化の的確な予測、入場券の偽造防止用ホログラム・蛍光インキ印刷技術、協議時間の計測技術や情報通信技術及びそれぞれの設備やインフラ等で多くの新しい技術が導入された。

3 マルチメディアデザインの試み

3-1  CD-ROMやPDFの展開
 前項で述べたように一部の企業は五輪記録情報を活用して新しい情報資源への展開を試みた。
 地元新聞社はオリンピック・パラリンピックの終了後も継続して記事をホームページに掲載している。開発担当者の意気込みも高いと評価される。特にホームページのPDF化とCD-ROMを連動させた商品化を試み、発売した。
 長野県印刷工業組合は大会後のオリンピック記録を長野市の小学校低学年に学習教材として「CD-ROMでみる私たちの まち ながの」を作成した。これは業界のマルチメディア印刷研究会での開発事業で実施した。さらに同組合では、CD-ROMでオリンピックを題材とした長野市の記録集「1998 NAGANO そのさきの夢を求めて」を開発し、業界一丸となってのマルチメディア商品への取り組み姿勢を強化した。県商工部では工業課と当場などで同マルチメディアデザイン技術の支援を特別指導事業として取り組んだ。
3-2 パラリンピックとデザイン
 長野パラリンピック冬季競技大会組織委員会(NAPOC)は長野パラリンピックの視覚的イメージの統一を図るためイメージカラーと基本デザインを決めた。
 キーカラーはネイビーブルー、サブカラーはピンクとベージュの3色を選定した。また、ロゴ、バナー、屋内外の文字広告などにもシンプルでわかりやすい基本コンゼプトを導入し、大会へ貢献した。
このほか、ホームページやボランティア諸活動にも企業のパワーが随所に設定され、協賛を得た。

坂城町企業の制作した雪上車
ジャンプ競技(夏)

      
 概ねパラリンピックは直前のオリンピックの施設を引き続き使用したため、車椅子や障害者対応施設、交通・雪上移動車(県内企業のボランティア製品開発品)など輸送に新しい雪積移動対応が強化された。
 パラリンピック大会のシンボルマークの管理は承認の基準が取られたが積極的に使用する方針でもあり、PRの範囲内であれば活用に制限はなく、営業的にも黙認された。商業使用権は設定していない。
3-3 景観や施設などのデザインに新潮流          
 両大会会場は1市4町村で行い(このうち、軽井沢町はパラリンピックを行わなかった)競技が終了後の施設利用は新聞やテレビなどの報道でいろいろ取り上げられたが、まだ完全な活用となっていない施設が多く、民間利用や国の冬期スポーツ振興の新規拠点を想定した事業計画の話しが進展中と言われる。
 長野市はオリンピック記念館を併設した「Mウェーブ」をスポーツアリーナの拠点としてまた各種イベント利用として活性化させている。また、オリンピックが来たおかげでそれまで規模の大きな展示会が市内でできなかったが、「ビッグハット」がこれを担い、関連施設整備や、長野駅との利便性が加わり商・工業的なイベント事業が行われることが多い。大会の開閉会式会場は野球場に改装され街並み整備も一新されたが、普段、人の流れはあまりなく、大会記念のモニュメント周辺が光輝いていて寂しく、今後の活用が待たれる。
 最も人気のある施設は白馬村のジャンプ競技施設で、四季を通じ観光化してきた。このジャンプ台は選手と観客が自由に通行できる通路部分があり、スタート付近での眺望も良く、白馬村のパノラマ展望は地元観光デザインの起爆剤となり、大人気となっている。ただ、周辺の整備が進まず、競技大会中は交通渋滞がある。
 楢川村の漆器メダルは昨年聾唖者ソフトボール大会のメダルに生かされ、手作りの味わいが勝者を通じて浸透するルートをわずかづつであるが確立した。また、このごろはほとんどなくなったピンバッジ交流風景はおよそ1年と少しの間長野市内の街路で続いていたが、その勢いは衰えた。
 街並建設計画におけるデザイン意識が広告・看板の業界などで浸透し、信州らしい市町村の美観評価意識が高まっている。このことが他地域にも影響し、各所で条例違反看板の自粛や警告後撤去されるようになりつつあり、環境美化への技術的なボトムアップを果たしている。

4 まとめ

4-1 報告書刊行におけるデザイン記録
 オリンピック・パラリンピック共に大会事務局から公式記録集や総集編ビデオ及び写真記録集等が刊行され、また、前記したCD-ROMおよびホームページのPDFやスイスのオリンピック本部と長野市だけに残るVODなどのニューメディアを活用し、後世になってデザイン記録の再現が期待される。
4-2 デザイン関係者の評価と期待
 およそ10数年前に冬季オリンピック導入の誘致活動が発生してから、今日まで長野県全域にデザイン志向が発生したとも思えないが、新幹線や高速道路の交通整備や高速情報化の積極的な推進をはじめ、スポーツインフラ及び周辺都市開発等は、県民の新しい生活環境ツールとなリ、同時にデザイン意識の向上に寄与している。
 デザイン関係業界はこうしたツールを最大に活用することによって、これまでローカル性を理由に先進都市との経済的・技術的格差を容認してきたきらいがあるが、今後は追いつき・追い越す努力が必然的に重要課題となってきた。

   商品化されたマルチメディアパッケージ

冬季五輪報告書

         
 県内オリンピックのデザイン効果がどのように生かされていくのか、大きなイベントからの脱却も今後観察する必要がある。あまり大きな変革とまで言い切れないが、歴史的なイベントを契機として強いて言えば冬のスポーツのみでなく、オールシーズンのユニバーサルでオリジナルな観光・PR業務と積極的に開発連動し、徐々にではあるがこれから直面するマルチメディア型情報高密度社会に必要なデザイン環境資源や文化の原資として蓄えられ、新たな「ナガノのデザイン」を起こす根元となっていくよう期待される。
参考文献

1 (財)長野オリンピック冬季競技大会組織委員会:「感動の冬 長野‘98」
2 (財)長野パラリンピック冬季競技大会組織委員会:長野パラリンピック公式写真集
3 信濃毎日新聞社:ホームページ「長野五輪ニュース」
4 (財)長野パラリンピック冬季競技大会組織委員会 :長野パラリンピック冬季競技大会公 式報告書
5 日本救急医療学会東海地方会誌:「第18回長野オリンピック登記競技大会医療救急資  料集1998」
6 吉田健二:日本工芸技術協会 財団法人 工芸財団,長野オリンピック・パラリンピックとデザイン 


(本文及び資料の掲載に際して、両大会組織委員会、信濃毎日新聞(株)、長野市フルネットセンター、セイコーエプソン(株)デザインセンター、木曽地域地場産業振興センター等にて取材調査し、資料・執筆の研究調査目的内使用許可をいただいてあります。)

 


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